高岡城址はあいの風とやま鉄道、高岡駅の北東約900メートルの位置にあります。
蓮華寺参拝の帰りに立ち寄りました。
見学日は令和5年5月21日です。
タイくん
国指定史趾
高岡城跡
平成二十七年三月十日指定
現地の掲示板によれば高岡城は、加賀前田家二代当主前田利長が、自らの隠居城として、慶長十四年(1609)に築城した城であり、小矢部川と庄川に挟まれた高岡台地上に位置する。
慶長十四年(1609)利長は、居城である富山城が焼失したため、新たな居城として六か月で高岡城を築造するとともに、城下を整備した。
慶長十九年(1614)に利長が没し、翌元和元年(1615)一国一城令により高岡城は廃城となったが、その後も藩の米蔵や塩蔵等が置かれ、維持管理された。
明治維新後は公園に整備されて今日に至った。
高岡城の縄張りは本丸の周囲に「馬出」と呼ばれる郭を配置し、この時期の特徴的な姿となっている。
平成二十二年から二十四年の発掘調査によって、本丸から御殿のものと考えられる礎石や石積みを検出する等、地下に遺構が良好に残っていることが確認された。
市街地にありながら堀や郭がほぼ当時のまま良好に保存されており、近世初頭の政治・軍事の状況や築城技術を知る上で重要な史跡である。