八心大市比古神社

八心大市比古神社のアイキャッチ画像

八心大市比古神社は、北陸新幹線が通ってから民営化された、あいの風鉄道の、黒部駅前通りにあって距離にして1キロメートル位の所にあります。
また、富山地方鉄道、電鉄黒部駅からは200メートル位の所です。

参拝当日は冬の逆戻りを思わせる、暴風雪の晴れ間をみての参拝でしたが、参拝客は誰もおらず宮司さんが丁寧に対応して下さいました。
ただ周辺至る所で工事をしていて、また飛び地があったりして、あまり写真は撮れなかったです。

参拝日 平成31年2月13日
所在地 富山県黒部市三日市1036-1
御祭神 大山祇神 少彦名神 軻遇突智神 (合祀)天照皇大神
御利益 家内安全、無病息災
文化財 市指定史跡(昭和30年7月11日)指定

明治時代までは「三島大明神」と呼ばれており、明治時代に現社名となったが、現在でも三島神社と呼ばれています。
大山祇神・少彦名神・軻遇突智神を主祭神とし、合祀神として天照皇大神を祀っています。

創建については諸説あり、孝謙天皇(在位:749-758)の御代に勧請されたという説もあります。
 東方の嘉例沢村(現 黒部市嘉例沢)の山頂から御幣が飛んできて三日市に留まり、それを土地の人々が祀ったところ、3体の神像が出現したので「三島大明神」と称して信仰したとも伝わります。

 「三島大明神」という名の由来については、鎌倉時代に佐野源左衛門が伊豆の三嶋神社(現 三嶋大社)を崇敬し、その桜の枝を取り寄せて、八心大市比古神社の境内の木に接木したことによるという伝承もあるようです。
ただ現在の八心大市比古神社の神紋は「桜井桜」と呼ばれる桜の紋です。

参拝して頂いた資料によれば、八心大市比古神社さん自体が、市指定史跡になっているようです。
この神社は、延長5年(927)の延喜式神明帳に記載されている式内社であるとの事です。

元はカヤンドウとよばれる地内にあったが、戦国時代に上杉謙信勢の兵火にかかって社殿が焼失しました。
その後天正8年(1580)茅などの群生地である三島野の、微高地に移転しました。
祭神の主神は大山祇命、相殿に少名彦命・軻遇突智命で昔から五穀豊穣の守護神として、町民はもとより近郷の人たちに『三島さま』とよばれ、崇敬されてきました。
最近まで、氏子たちは鶏をこの祭神の使者として、その肉を食べなかったそうです。

また、この神社へは布施川の上流にある嘉例沢から神幣がきたとか、祭日には能登から神火が飛来するとかが語り伝えられているそうです。
これらの伝承は、布施や能登の文化圏と深い関連のあることが何よりも示唆しているのではないかということです。

神社には慶長元年(1596)獅子頭を奉持して家々を回り、家内安全、無病息災を祈った『御獅子頭御入之家』の古文書や、寛文4年(1664)に寄進された鰐口、元禄2年(1689)作の鶏絵馬、その他古い社宝が保存されているとの事です。

また、明治6年(1873)には、旧下新川群でこの神社のみが由緒深いことで県社に列せられたそうです。
現在、境内には昭和17年(1942)に木曽のヒノキ材で作られた見事な社殿、市指定天然記念物の大ケヤキ、化藤、明治天皇の天覧羅漢樹、乃木将軍揮毫の皇威宣揚の石碑などがあって場内は約13200平方メートルの広大な敷地を有し、市民の崇拝する神域となっているとの事です。

八心大市比古神社は、元々広大な境内だったのでしょうね。
私の見る限りでも道路が2本通っています。
そんな関係で飛地になった一つが三島の大ケヤキのある部分です。

案内板の内容を要約すると、県道横断のため飛地となった、地神塚の後背にある大ケヤキは、目通り周5.15m、樹高は25m、樹齢は約300年と推定され、市内最大のケヤキだそうです。
左側に並ぶフジは三島の化藤と呼ばれ、市指定の名木でこの蔓は大ケヤキに支えられ、フジの開花期には大ケヤキを花で飾るので、その景観は見事だそうです。

樹下にある塚は大正14年(1925)に市内の地神を合祀して築いたものだそうです。
三島の大ケヤキは黒部市を代表する、ケヤキの大木として、貴重な事から昭和58年(1983)に黒部市指定天然記念物に指定されているとの事です。
桜井の化藤は往時は富山県指定天然記念物に指定されていましたが、腐蝕し患部を切除した為、規模が小さくなり改めて昭和40年(1965)に黒部市指定天然記念物に指定されています。
地神塚は伝承によるとフジの精が絶世の美女に姿を変え夜な夜な出現し、通行人を脅かした事から、フジの地神として祠を設けて祭ったところその姿を見る事がなくなったと伝えられているとのことです。

八心大市比古神社の御朱印
八心大市比古神社の御朱印