金沢駅から歩いてすぐ近くの安江八幡宮を参拝し、近江町市場で軽く昼食をとって石浦神社へ向かいました。
市場の真向かいには市媛神社があるのですが、今回は鳥居など工事をされていて参拝できかったです。
参拝日 平成31年2月6日
所在地 石川県金沢市本多町3丁目1-30
■石浦神社御祭神
大物主大神(大国主大神) 縁結び・家内安全
大山咋大神(山王) 厄除・八方・安産
菊理媛大神(白頭山の神) 仲執り・結び
天照皇大神 制度・法律・刑法
天兒屋根大神(春日大社の一柱) 知恵
市杵島姫大神(厳島の神) 外難防禦
誉田別大神(八幡の神)
■広坂稲荷神社御祭神
宇迦之御魂神(生産の神)
蛭子神(エビス様)
木乃花咲耶媛(山の神)
■境内末社
金刀社
かわせ社
水社
本多社
折角参拝しようとしていたのに工事中だったの?
また機会をみつけて行くわよ。
おいしいお寿司食べてきたの。
頂いたしおりを要約します。
近年の調査で、2200年前に草創され越乃国、三輪神社として下石浦村(現・長町)に社祠を建てたのが石浦神社の前進で金沢最古の神社とされます。
天平年間(729〜748)
諸国をめぐりさまざまな寺院を造営し、開眼供養をしていた行基が、近江国高島郡三尾山崎より流れた霊木から三体の観音さま(長谷観音)を彫ったと言う。
そして第一番所として大和国長谷寺に、第二番所として加州石浦長谷寺(当石浦神社社)に、第三番所として相州鎌倉長谷寺に祀ったとのことです。
天正8年(1580)
兵火に遭いことごとく消失。
小立野、山崎村の愛宕社→卯辰山の観音院へと。
慶長6年(1601)
二代藩主、前田利長公より上石浦村(現・本多町)に社地をうけ賜る。
慶長7年(1602)3月29日
社殿を再興し帰座する。
寛永年間(1624~1644)
長谷山慈光院と改める。
石浦神社は金沢城地の土産神として、城の鎮守神として歴代藩主の崇敬が厚かった。
また五代藩主綱紀公には若君誕生の際し安産を祈願されました。
以来安産の神としても人々から厚く信仰されるようになったようです。
藩主がそうですから、寄進も多かったのでしょうね。
元々三輪神社として大神神社の主神、大物主大神を奉斎してきたが、当時仏の十一面観音に圧倒され、また慈光院と称していたため、世人からは寺院として認知され三輪神社の社号が忘れ去られたようです。
そのため、三輪神社の帰属が危うくなった時もあったとの事です。
しかし明治維新の神仏分離令により、明治元年(1868)12月に氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改称し明治13年(1880)9月、下本多町から広坂通りの現在地に移転したそうです。
昭和35年(1960)11月3日、市指定文化財にされています。
石浦神社公認キャラクター きまちゃん
金沢の中心に位置する金沢城公園の周囲には、金沢市民に親しまれてきた神社が集まっています。
加賀藩の初代藩主・前田利家を祀った尾山神社、前田家が幕府への忠誠の印として徳川家康を祀った尾崎神社、前田家の祖先である菅原道真を祀った金沢神社など、前田家ゆかりの神社が見られます。