法福寺は富山地方鉄道愛本駅の北東約1700メートルの地点にあります。
私は自転車にて参拝しました。
参拝日 令和元年9月21日
所在地 富山県黒部市宇奈月町明日836
宗派 高野山真言宗
山号 明日山
寺号 法福寺
御本尊 十一面観音菩薩
札所 北陸三十三観音霊場 第33番
北陸三十六不動霊場 第22番
越中一国三十三観音霊場 第33番
呉東地区新西国三十三所観音霊場 12番
令和元年10月22日
情報によると、
令和元年8月16日、北陸三十三観音霊場 第33番の役務を終了し、 新たに富山県下新川郡朝日町の「護國寺」が第三十三番礼所として開始されましたとのことです。
法福寺さんのホームページによると、法福寺は、大同元年(806)幻識大和上の創建であると伝えられている。
本尊は十一面観音であり、むかって右の脇立ちは馬頭観音、左の脇立ちは聖観音である。
いずれも奈良の仏師春日の御作と言われている。
かつては七堂伽藍があり、仁王門の中にも十六坊が立ち並んでいたが上杉謙信が侵入した折、兵火にかかって消失したという。
その後、中興秀運和尚の代に、文禄二年(1593)に前田利家公より観音灯明田百俵の寄進を受け法福寺を再興した。
この時から加賀藩の祈祷寺となり、加賀藩より篤い庇護を受けた。
特に三代藩主前田利常公は信心が篤く、多くの寄進を賜った。
また、当寺観音様の法力があるということで、宝福寺より法福寺に変えたと伝えられる。
現在は、2000坪あまりの境内に七間四面の観音堂、庫裏、弁天堂、仁王門を擁しています。
法福寺の稚児舞は、毎年 4月18日(現在は 4月第3日曜日)の同寺観音祭に稚児4名によって奉納される雅な舞です。
文献資料によりますと、江戸時代中期以前から伝わっているものと確認できます。
この稚児舞は、上方系の舞楽が稚児舞の形で地方に伝承されているところに特色があるといわれています。
昭和40年(1965) 1月 1日には、県の無形文化財の指定を受け、その保存伝承に一層の努力が続けられてきました。
さらに、昭和57年(1982)1月14日、下村(現射水市)の賀茂神社、婦中町(現富山市)熊野神社の稚児舞とともに「越中の稚児舞」として、国の重要無形文化財として指定を受けるに至ります。
法福寺の境内には大きな桜の木があります。
樹齢420年以上と言われています。
樹高13m、15m四方に枝を伸ばし、堂々たる古木です。
昭和40年(1965)に県の天然記念物に指定されました。