福町神明宮

福町神明宮アイキャッチ画像

福町神明宮はあいの風とやま鉄道、石動駅の北東約1400メートルの位置に鎮座しています。
石動方面御朱印巡りの一環として観音寺、大念寺、本行寺参拝後、最後に向かいました。
神明宮は各地に鎮座しているので特に福町神明宮としています。


参拝日 令和5年5月16日
所在地 富山県小矢部市西福町1−7
御祭神 天照皇大神、豊受大御神

境内の由緒書きの掲示板を要約すると、創立年月不詳ですが、延喜式能登国石動山鎮座伊須流伎比古神社の分霊と言われています。

元亀年間(1570~1573年)には、合該山僧徒各自結集し争いの際私かに神璽を供奉し福町村字中島に鎮座されました。

元禄15年(1570)9月、当郡木舟の城主前田氏の遺臣、福町村の小菅、小野、水上、柳原の4氏が伊勢参宮の時、外宮の御分霊を請願奉迎し当社に合祭しました。

天正13年(1585)11月大地震以来小矢部川洪水毎に社地周辺決壊し氏子等相謀り旧社地(社内)へ遷座しました。

また当時、当郡木舟の城主、前田右近大秀継(前田利長の叔父)は当社を祈願所として幣帛を捧げ尊敬なされたる社柄です。

時に当社は古来より当郡糸岡郷一ノ宮と称し福町村他三十三ヶ村の総社です。

明治6年6月村社に。
明治15年3月27日郷社に昇格しました。

室町時代中期の作。
長さ69.4糎、反り2.8糎の刀剣であり、天文6年2月頃の越中国宇多一派の刀工作であるとされている。
銘文は(表)宇多国宗(裏)天文6年2月 
刀身が柄から抜け出ないよう留めるための
「目釘穴」は一つ「樋」と名付ける細い溝が刀身の表裏に切られており(俗に血溝と呼ぶ)その形式は「棒樋・掻通し」。
鍛えは「板目肌」、刃紋の種類は「互の目」、彫り物がある。
外装は「白鞘」。


昭和8年8月18日上埜嘉兵衛氏(福町)より脇差一口(国久・一尺七寸五分)及び由来の巻物が同時に奉納されている。

富山県指定有形文化財(工芸品)
昭和42年3月25日指定

福町神明宮摂社

境内末社

金毘羅社

日吉社


祇園社