本行寺

本行寺アイキャッチ画像

本行寺はあいの風とやま鉄道、石動駅のほぼ北約900メートルの位置に鎮座しています。
観音寺、大念寺を参拝後に向かいました。
現在工事中で御堂は閉じられているのですが家人の計らいで通用口から入れて戴き参拝と御朱印の授与をしてもらいました。

参拝日 令和5年5月16日
所在地 富山県小矢部市八和町6-4
山号 津端山
寺号 本行寺
宗派 日蓮宗

頂いた資料によると津幡山本行寺は日蓮宗の寺院です。
今石動城主、前田利秀の菩提寺です。
前田利秀は、前田利家の弟秀継の子で、若年の頃から父に従い、加賀・能登・越中の境で佐々成政と戦い、津幡城、今石動城を守備しました。


天正13(1585)年、利家が越中を領有した後、秀継は木舟城主となりますが、同年11月に発生した天正大地震により、木舟城は崩壊し、秀継夫妻は圧死しました。

難を逃れた利秀は父の跡を継ぎ、木舟城の修復に当たりますが、復旧ははかどらず、城下町を今石動の地に移すことを決意し、4万石を領する今石動城主となりました。


天正18(1590)年、小田原北条氏攻めに参陣し、松井田城、八王子城の攻城戦などで武功を挙げ、朝鮮出兵にも参陣するため名護屋城に赴きましたが、途中で病を発し文禄2(1593)年12月19日に病没しました。

享年26歳でした。


利秀は世継ぎが無く、家老の篠島織部清了が遺領地を治めました。
本行寺は木舟城下にありましたが、大地震で本堂を失ったため、今石動〔現在の今石動中学校運動場付近)に移りました。
その後、藩主宿泊御用のため、墓地と共に今の場所に移りました。

境内を通り抜け墓地に通じる道を登っていくと、途中に前田利秀公頌徳碑(しょうとくひ)があり、その奥に前田利秀の五輪石塔の墓があります。
寺宝に前田利秀画像があります。

絵画


当寺には前田利秀19歳、京都在住当時の肖像の掛幅がある。
これは大阪の画家、長崎左近によって画かれたものである。

工芸


藩政時代今石動町に寛永7年から町奉行が置かれ、寛永14年からは城端町も支配されたので両町間の交流が盛んになった。
寛政12年城端町の俳人20人が当寺に漆塗の俳句額を奉納した。
この製作者は白漆の名工8代の小原一白であり、額縁にオランダ語の文字がある。

史跡 前田利秀の墓


前田利家は越中攻略の拠点として、天正13年に今石動城を築き弟秀継、その子利秀を置いた。
間もなく秀継は木舟に進み、利秀は19歳にて4万石を領する今石動城主となる。
利秀は文禄2年、秀吉の挑戦征伐に従軍して出発したが肥前名護屋で病にかゝり帰郷した。
文禄2年12月19日26歳で没したので、生前信仰した日蓮宗の寺院である当寺に葬り墓は背後の墓地にある。


いずれも昭和40年3月16日、小矢部市文化財に指定