脇子八幡宮

脇子八幡宮アイキャッチ画像

越中越後国境鎮護 脇子八幡宮へは、家から自転車で参拝しました。
あいの風とやま鉄道泊駅の北東約2キロメートルの位置に鎮座しています。
また国道八号線にも面していて城山トンネルの入口近くです。

参拝日 令和元年9月1日
鎮座地 富山県下新川郡朝日町横尾966
主祭神 誉田別尊(第十五代応神天皇)
相殿神 豊城入彦命(祟神天皇御子・佐味族の祖)
    治承4年(1180)宮崎よりサミの神を合祀。
相殿神 北陸宮(後白河天皇御皇孫・以仁王御子)
    文政9年(1826)合祀。
相殿神 事代主神(恵比寿様)
    明治42年(1909)泊浦西宮より合祀。
祈願  安産、初宮、家内安全、車清祓い、仕事始め、商売繁盛
    社運隆盛、厄除け、必勝祈願、合格祈願等。

脇子八幡宮さんで頂いた資料によると
大宝2年(702)越中・越後の国境鎮護の神として高向朝臣大足により城山の峰に奉斎されたのが当宮の創祀にて、寛平元年(889)神階従5位の下に叙せられ二上山・雄山と並び叙位に与る三山の一つでありました。

平安末期には木曽義仲が、源氏の氏神の当宮近くに御殿を造営し後白河天皇の御皇孫にて以仁王の御子にお住み頂き、その後元服なされ北陸宮と称された御子を総大将として奉載申し上げ、当宮に宝剣一振りを献上の上必勝祈願を申し上げ、見事大勝利を収め当宮社殿神門全てを改築し報恩の誠を捧げました。

戦国期には上杉謙信公等武将達の尊崇も篤く、後に山麓の海岸に遷宮申し上げられ泊町の氏神と崇められましてからは、加賀藩の東涯の鎮守として営繕と警備は境関所の武士達が負い、樹木の伐採の禁止及び参勤交代時の銀子奉納の事や、皇統の長久の祈願を金門鳥敏(辛酉・カノトノトリノトシ)の祭りとして六十一年毎に斎行申し付かる事等々、尊崇特に深き事でありました。

爾来、遠近問わず広く信仰され年々歳々他県からの参拝者や祈願者も増加の一途にて、悠久千三百有余年の社史を刻みつつご神威愈々隆盛の今日でありますとあります。

古来、当神社の八幡信仰は母が我が子を身代わりとして産み、その子を抱き慈愛をもって育む大愛にある。
また八幡様は勝利をもたらす神と云われている。

城山頂上には脇子八幡宮の奥宮があるそうです。
折があれば参拝してみたいけど、熊情報怖いです。

脇子八幡宮御朱印
脇子八幡宮御朱印
タイちゃん
タイちゃん

境内に弁慶の足跡が
あるのだって?

ユミちゃん
ユミ

そうなの。
その昔弁慶が黒部山から一跨ぎでこの石を踏んだと
伝えられている石があるわよ。

弁慶の足跡石
弁慶の足跡石