御朱印

雲龍寺

高山市雲龍寺
参拝日 平成30年4月26日
所在地 岐阜県高山市若達町1-86
本尊  十一面観音菩薩
宗派  曹洞宗
 
曹洞宗 海蔵山 雲龍寺は下呂温泉へ行った帰りに高山駅で途中下車して参拝した寺院の1つです。
お花見シーズンも終わり、朝市のピークも過ぎて町は割と閑散としていました。
私の住む北陸は大雪だったため住職様より労いをうけました。
雲龍寺は古都 飛騨高山の東山とよばれる閑静な場所に建つ、曹洞宗飛騨最初の道場 とされています。
高山駅、古い町並みからも近く、遊歩道も整備されていました。

由緒

資料によると雲龍寺は、奈良時代の養老4年(720)に、泰澄大師が白山神社の 別当妙観寺として創建されたと伝わります。
室町時代の応永2年(1395)総持寺22世、竹窓智厳和尚が求法の旅の折り、たまたま飛騨へ巡錫され白山権現の別当妙観寺へ立ち寄られましたが、寺は無住となりすっかり荒れ果てていたとの事です。

竹窓智厳和尚は荒廃した妙観寺の堂宇を修復し総持寺の門末として寺を開く事とし、 師の了堂真覚禅師を開山に請じて飛騨最初の曹洞宗道場雲龍寺を創建しました。
その後、飛騨国最古の曹洞宗寺院として隆盛を誇り応永9年(1402年)に塔頭の 久昌寺が創建され、宝徳2年(1450年)に同じく塔頭の栄鏡院が開かれたました。

雲龍寺は高山城主金森長近公の長子忠次郎長則の菩提寺です。
長則織田信長公の長子信忠に仕えていましたが、天正10年(1582)6月に 本能寺の変が起きた際、二条城で襲撃を受け、19歳という若さで主君と共に逝きました。

天正14年(1586)高山城主となった父金森長近公長則七回忌に当たる天正16年(1588)当時 高山第一の古刹雲龍寺に於いて盛大に法要を営み、長則の菩提寺に定めると共に寺領 の寄進、堂宇の修復など行い、金森代々雲龍寺大檀那として大いに帰依しました。

雲龍寺の鐘楼門は、元禄5年(1692)高山城が幕府の命により加賀藩に預けられ るもその煩いに耐えず破却されることになりました。
その時、高山城内二之丸にあった黄雲閣という建物を当寺に下附されたのが現在の 鐘楼門です。
現在高山市の文化財に指定されています。

雲龍寺は本山総持寺の直末寺院です。

寺宝には雪舟筆の達磨、狩野永徳筆の唯摩居士の画像、木庵禅師の筆額、松田亮長彫刻 の十六羅漢念珠などがあります。
また、雲龍寺へは文人墨客がよく訪れられるそうです。
佐々木文山の屏風、月舟宗胡の寺号額さらに近代画壇の巨匠橋本関雪が雲龍寺に滞在の おり、亡妻の供養のために描いた観世音の一軸が大切に保存されているとの事です。

雲龍寺本堂雲龍寺本堂
雲龍寺鐘楼門雲龍寺鐘楼門
雲龍寺御朱印雲龍寺御朱印