櫻山八幡宮

櫻山八幡宮アイキャッチ画像

参拝したのが4月下旬で、しかもお昼近くでした。
花見シーズンも終わりその上朝市も閑散とする時間だったので
町全体が静かでした。

高山駅で下車して櫻宮八幡宮まで15分くらいかかりました。
宮川にかかる宮前橋に大きな鳥居が建っていて、大鳥居から参道が続き、参道の石段を上ると本殿があります。
山の麓に鎮座していて大変厳かな空気が流れています。

また本殿脇には筆塚もあり、境内に接して高山祭の屋台会館がありました。
階段上りが大変きつかったです(笑)

参拝日 平成30年4月26日
所在地 岐阜県高山市桜町178
御祭神 応神天皇

日本書紀によれば、仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていたそうです。
征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入りました。

武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられます。

その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。
大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。

元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。
以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した。
飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えたとの事です。

神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。
明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。


戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増しているとの事です。

御祭神は応神天皇ですが、熱田大神・香椎大神も祀られています。
また敷地内には秋葉社・天満社・稲荷社・琴平社・照崎社の末社も鎮座
します。

櫻山八幡宮御朱印
櫻山八幡宮御朱印