御朱印

西願寺

西願寺のアイキャッチ画像です

西願寺は、あいの風とやま鉄道の魚津駅から南西方向に約2kmの位置にあります。
魚津八幡宮とは道路を挟んで真向かいです。
朱色の門が一際目立ちました。
何か行事があれば門は開くのでしょうけど、当日は閑散としていて、脇の通用口から境内に入り参拝させて頂きました。
御朱印巡りを始めたばかりで、しどろもどろだったのですが、二つの札所をしているとの事で御朱印を二つ頂きました。

参拝日 平成31年3月23日
所在地 富山県魚津市新角川2丁目2番28号
山号 群金山
院号 養林院
寺号 西願寺
宗派 浄土宗
御本尊 阿弥陀如来
越中国 法然上人二十五ヶ所霊場 6番札所
呉東地区新西国三十三所観音霊場 18番札所

開山 螫蓮社願譽榮海上人

境内の掲示板などを凡そ参考にすると、
郡金山養林院西願寺は、文明弐年(1470)螫蓮社願譽秀榮海上人を開基として創建された勅願寺である。
勅願時とは、天皇の発願によって建立された寺院をいうそうで、開山榮海上人は後小松天皇の後裔と伝えられ、永享弐年(1430)に生まれ、康正弐年(1456)御所より鬼門の方角にあたる 北国に一守建立の勅命を受け、当地に皇室隆興の祈願所として建立されたそうです。
西願寺の寺号は、御所のある西を願う寺という意味と、西方願生の意味から名付けられたようです。
文亀弐年(1502)には御柏原天皇の御宸筆「西願寺」の勅額を拝領したが、焼失して残っていないそうです。
以来、代々の勅願所となり、当時世人よつは西願寺あるいは宮方寺と呼ばれていたということです。
榮海上人は当国に八ケ寺を建立し、 西願寺をその本寺と定め広く布教に努め、永正弐年(1505)3月6日、77歳をもって入寂されました。

西願寺の沿革

 文録年間に第四世円誉教山上人は、御所に参内を遂げ、赤門建立の勅許を得て以来赤門を建立しました。
当時は門前に「下馬」の制札があり、諸国大名は参勤交代のおりに門前で下馬されたということであるが、現在では残っていません。
文録4年(1595)第五世円譽通玄上人は御所に参内を遂げ、後陽成天皇の御宸筆、「西願寺」の堅額を拝領し、現在では寺宝とされています。
明治11年(1878)9月、明治天皇は北陸巡幸の際に、勅額、添書、並びに由緒書を御天覧になりました。

現在の西願寺

昭和18年(1943)11月、附近の出火により本堂、庫裡、観音堂、鐘楼堂、赤門等、皆焼失したが、昭和25年(1950)本堂、庫裡、鐘楼堂等が再建され、 又昭和48年(1973)には地蔵堂、昭和60年(1985)には赤門が建立されて現在にいたっています。  
本尊阿弥陀如来の由緒は不明ですが、寺内には釈迦三尊像、准胝観音、摩耶夫人、聖徳太子、閻魔大王、賓頭盧尊者等の仏像の他に、宝祚延長御祈願の為、天照大神の御像(御丈三尺、厨子入御木像)が安置されています。
また境内の六角堂には延命地蔵菩薩が祀られています。
古来より大本山清浄華院末寺の四天王(富山西願寺、武生正覚寺、出雲神門寺、石見長福寺)の一つといわれており、石川、富山県における浄土宗随一の寺院であるといわれています。
開基榮海上人より、現在教誉善政まで三十代法灯を相続しています。
なお二十八世高誉善務大僧正は大本山清浄華院第七十七世御法主台下にあらせられました。 

呉東地区の観音信仰の拠点『新西国三十三所観音霊場』の第18番札所であると共に、富山県内の浄土宗寺院で構成する『越中国法然上人二十五霊場』の第6番札所でもあります。

西願寺本堂西願寺本堂
西願寺赤門西願寺赤門
西願寺六角堂西願寺六角堂
西願寺鐘つき堂西願寺鐘つき堂
西願寺手水舎西願寺手水舎
西願寺全景西願寺全景
西願寺由緒西願寺由緒
准胝観世音大菩薩18番札所准胝観世音大菩薩18番札所
法然上人二十五ヶ所霊場 6番札所 法然上人二十五ヶ所霊場 6番札所