中川熊野神社へは古城公園内の射水神社を参拝後、通用口を出て向かいました。
約100メートル位歩いたと思います。
あいの風とやま鉄道高岡駅からだと、西に1500メートル位離れていると思います。
参拝後社務所に御朱印を頂きに伺うと折角だからと言って拝殿を案内して下さいました。
参拝日 令和元年5月3日
所在地 富山県高岡市中川本町7-3
御祭神 伊弉冉命
速玉男命
事解男命
彦屋主田心命
中川熊野神社の正式名は『熊野社』らしいです。
境内にも明治時代に作られた社標には『熊野社』の刻印があります。
ただ、周辺にも『熊野社』が点在するため、鎮座地の中川を冠して『中川熊野神社』とされているものと推定されます。
社伝によると、応神天皇の御宇、神託をえて月輪宮として創建されたかなりの古社です。
ついで、宝亀元年(770)八月、国分寺の僧・本覚が当社を中興し、 さらに、熊野権現を当地に奉斎したと伝わっています。
元慶年中(877~885)、菅原道真公が当社に参詣し、御自筆の勤音経一巻を奉納されたとあります。
永禄四年(1561)、神保安芸守が社殿を再建され、社領百二十石を寄進し篤く尊信されています。
天正四年(1576)、兵火にかかり社殿宝物等を焼失しました。
その時、宝田本学(宮司宝田家の祖)が御神体を奉持し現在地に奉遷しました。
慶長年中(1596~1615)、高岡城主前田利長公奉幣祈願し、当社を深く崇敬されました。
その後状況の変化にもかかわらず、中川村の産土神として隆盛を保持していました。
ところが、平成21年(2009)9月9日午前9時30分頃、神社で火災が発生しました。
火は50分ほどで消し止められたが、拝殿と渡り廊下を全焼し、本殿も半焼しました。
その日は秋祭りの前日で、火災の原因は電気配線の漏電とみられているようです。
火災後、氏子らの協力により、本殿などが再建され現在に至っています。