鹿嶋神社(富山市)

鹿嶋神社アイキャッチ画像

鹿嶋神社へは富山市御朱印巡りの一環として参拝しました。
今回の御朱印巡りの最後の神社です。
鹿嶋神社へはJR富山駅前で自転車をレンタルしての参拝でした。
富山地方鉄道市内電車の安野屋駅から南に500メートル位の位置にあります。
JR富山駅前からは南西に2キロメートル位です。

参拝日 令和元年5月18日
所在地 富山県富山市鹿島町2丁目8番10号
御祭神 主神  武甕槌命 (たけみかつちのみこと)
         *国土安泰・民生安定
    配神  大己貴命 (おおなむちのみこと)
         *開運招福・生業繁栄
        少彦名命 (すくなひこなのみこと)
         *病気平癒・身体健全
        前田正甫公命 (まえだまさとしきみのみこと)
         *富山の殖産興業

参拝時頂いた資料を直記すると、鹿嶋神社は桃山末期に現在の有沢に「鹿嶋社」として創建されました。
二代富山藩主前田正甫(まさとし)公は、鹿嶋の神を産土神として特に御崇敬になり、新たに現地に遷宮され、富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として、当地開拓の初めに磯部一帯に亘り広大な境内地を有し御鎮座になられました。

又、歴代藩主には万民の病気平癒・領民の健康長寿・医療の道(売薬業)の繁栄を祈願されました。
尚、「柏の葉に乗って神通川を降ってこられた」との伝説もあり民間信仰として「水」の御神徳顕著にして、「雨降ってござった柏さんの祭」と唄って御祭神を称え奉ったとあります。

この神社の境内の一部は富山藩祖の時代には 家老を勤めた近藤善右衛門長房の下屋敷であったとされています。
越中売薬の開祖で、二代目藩主前田大蔵大輔正甫公は、慶安2年(1649)に この近藤氏邸内で誕生したといわれています。
その産湯井は現拝殿のやや南方にあったと伝えられています。
正甫公は、有沢にあった鹿嶋神社を特に崇敬し、産土神の 武甕槌命の社殿をこの地に移し改装して、富山藩の鬼門除けと するとともに、越中売薬の普及発展を祈願したといわれています。
その後、当神社の祭礼は富山城下の祭りとして毎年全町民が参拝したと いわれています。

越中売薬の開祖で富山の殖産興業の御祖の神と称え奉る、二代藩主前田大蔵大輔正甫公は、慶安2年(1649)に当時、家老を勤めた近藤善右衛門長房の下屋敷で誕生され、その産湯の井戸が現在の社殿の東にあったと伝えられている。

前田正甫公産湯の井戸
前田正甫公産湯の井戸