岩殿山 明静院

明静院アイキャッチ画像

岩殿山明静院はJR直江津の西方約3600メートルの位置に鎮座しています。
私は居多神社よりタクシーで参拝しました。
市道だというのですが木々雑草が生えていて一人での行動は大変危険だと感じました。

お寺さんであってお宮さんでもある。
私の寺社巡りでも初めての体験でした。

参拝日 令和六年四月十七日
鎮座地 新潟県上越市五智国分2111

岩殿山明静院 山号 岩殿山
       院号 明静院
       種類 祈願寺
       宗派 天台宗
       御本尊 大日如来
       開基 行基

諏訪神社
    御祭神 大国主命
        建御名方命
        奴奈川姫命
        姥嶽姫命
    合祀  剱神社
        飯縄神社

参拝時栞を頂いたので略々直記します。
岩殿山の歴史は古く、その昔神話の時代にさかのぼります。
大国主命が出雲より渡来し、高志(越)の国の酋長奴奈川姫と結婚生活をされた岩屋があります。
この岩戸山の岩屋で建御名方命(のちの諏訪の大神)が、大国主命と奴奈川姫の御子としてお生まれになりました。
この時姥嶽の姫が「日陰のかずら」を襷にして命をお取り上げになり安々とご誕生されたといわれます。
この故事にならい古来より「日陰のかずら」をもって安産の御守りとして世に施しています。
やがて建御名方命は成人して信州諏訪へ向かわれます。

古来からの社殿は岩屋内にありましたが腐朽したので、正徳三年(1713)に改造しました。
しかし宝暦元年(1751)四月二十五日夜大地震のため岩屋が欠け落ちて社殿も埋没しました。
それより横に移築されました。

聖武天皇の御世、全国に一国一時の国分寺建立の勅命により、名僧行基菩薩が越後国府にご滞在になり、当山の神話時代を追想され、岩戸山に逗留し、国分寺建立と共に自ら
「岩戸山妙徳院」に三尊安置して開山されて以来、子院十一坊をもつ越後の霊場となり崇拝されるようになりました。

その後、天台宗に属し明静院と改名されました。

なお戦国時代の名将上杉謙信公の厚い帰依をを受け、その死後ここに墓所がおかれ、ご敬葬いたしましたが、上杉景勝公会津へ転封になった後、元和五年(1619)十月高田藩主松平忠昌が藩老氷見志摩守に命じ、この謙信公墓所の供具料として当山に十二石地永代寄進され、その守護もつとめましたとあります。

明静院お堂 参道

諏訪神社

道祖神 聖母観音

謙信公墓 弘法の硯岩

御朱印