本山浄興寺は妙高はねうまライン高田駅の南西約500mの位置に鎮座しています。
私は日枝神社参拝後徒歩で向かいました。
参拝日 令和六年四月十六日
所在地 新潟県上越市寺町2丁目6番地45号
山号 歓喜踊躍山
寺号 浄土真宗興行寺
宗派 真宗浄興寺派
寺格 本山
御本尊 阿弥陀如来
諸説色々あるようですが、由緒書きのパンフレットを頂いたので直記します。
宗祖親鸞聖人
承元元年(1207)
宗祖親鸞聖人は、念仏禁止令により、越後の国国府(上越市国府)に流罪となられる。
越後の国に七年滞在され恵信尼公と結婚される。
関東御布教
元仁元年(1224)
常陸国(茨木県)笠間郡(笠間市稲田町)の稲田禅坊にて(教行信証)を著述され、完成の歓びのお心持ちを山号・寺号に顕わし「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」略して浄興寺と名付けられる。
聖人帰路
貞永元年(1232)
浄興寺を善性上人(後鳥羽天皇の皇子)に譲られる。
親鸞聖人御頂骨、善性上人により浄興寺に安置。
嘉禎元年(1235)
善性上人の皇系を以って、信濃国水内郡太田庄長沼に寺領を拝領する。
文永四年(1267)
戦乱を避け太田庄長沼に移る。
永禄四年(1561)
川中島の合戦により堂宇炎上。
永禄十年(1567)
上杉謙信公の招きにより春日山城下に移る。
慶長十二年(1607)
上杉景勝公会津移封のあとをうけた堀氏と共に、福島城下(旧直江津地区)へ転ずる。
慶長十九年(1614)
松平忠輝公高田築城と共に城下に移る。
寛文五年(1665)
地震で堂宇破壊焼失する。
時の藩主松平光長公の市街復興計画に従い、第十八世琢性上人堂宇建立に至る。
昭和二十七年(1952)
宗教法人法の施行により東本願寺からの独立が達成される。
浄興寺本堂
平成元年(1989)
本堂が国指定重要文化財となる。
平成十六年(2004)
本堂保存修復工事完了する。