日枝神社

日枝神社のアイキャッチ画像

携帯電話の契約の件で富山市へ行ったのですが要件が午前中で終わったので急遽御朱印巡りを思いつきました。
結局参拝出来たのは山王さんでおなじみの日枝神社と富山縣護國神社だけです。

日枝神社の道を挟んで向かい側に、大喜の本店があったので、久しぶりに元祖富山ブラックラーメンを賞味してきました。

大喜のラーメン

大喜のブラックラーメン

登場のいきさつからか
ご飯と一緒に食べる
別名おかずラーメンとも言われています。


タイちゃん
タイちゃん

相変わらず塩辛いの?

ユミちゃん
ユミ

うん、でも病みつきになる、血圧には悪そうだけど

参拝日   平成平成30年5月18日
所在地 富山県富山市山王町4-12
御祭神 
大山咋神(おおやまくいのかみ)
五穀豊穣の神、工事安全の神、醸造(酒造り)の神として崇められています。
また縁結びの神として信仰されています。

大己貴神(おおなむちのかみ)
大国主神(おおくにぬし)の別称。
多くの名前を持った貴い神という意味です。
縁結びの神としても信仰されています。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
太陽のように多くの恵みをあたえてくださる神といわれています。

豊受大御神(とようけのおおみかみ)
衣服、食物、住居をつかさどる神として知られています。

頂いた栞によると、戦時中の混乱や焼失により、御神宝や文献は、ほとんど残っていないとの事です。
現存する記録によると創建は不祥ですが、越中国新川郡針原大野鎮座し、広壮な社殿、社地を備えていたと いう事です。

南北朝の 1335年(建武2年)桃井直常北条時兼を追討した際、敗走する時兼が防戦のため社に火を放ったので、戦乱を避けて神体は旧上新川郡大山町隠土、旧上新川郡中野村と各地に遷座した。

1367年(正平22年)以降、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)に遷した。
天正年間、佐々成政が富山に入城の際、城内にあった藤居山富山(ふせん)寺鎮守山王権現を現在地に遷し、富山の産土神とした。

成政の越中退去後、
1587年(天正15年)、前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に定められ、新たに社地・社殿が寄進された。
1873年(明治6年)に郷社に列した。
1875年(明治8年)、天照大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀した。

1899年(明治32年)、境内地に新県庁を建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座し、 同年8月2日、県社に昇格した。
しかし同年8月12日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失した。
1 901年(明治34年)、現在地に本殿・拝殿を再建した。
1945年(昭和20年)8月1日富山大空襲により全社殿その他建物の全てを消失したが、 御神体は、本殿土壇の特設の防空壕に直前にお移しして被災を免れた。

戦後は被災にあった本殿・拝殿・社務所等が氏子崇敬者の御浄財により次々とご復興し、 神域は見違えるように旧に勝る威容を誇るに至った。
1968年(昭和43年)、神社本庁の別表神社に加列された。
2006年(平成18年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われ現在に至っているそうです。