富山市新庄全福寺は富山地方鉄道東新庄駅の北側約500メートルにあり、JRあいの風とやま鉄道富山駅の西側約3.6キロメートルの位置にあります。
私は東新庄駅より歩いて参拝しました。
なお、同じ市内に全福寺があるようなので地名も入れました。
夕方遅い時間だったので御朱印は無理かなと思っていたのですが、玄関にいた方に何か用事ですかと質問され、御朱印の事を話したところ快く書いて頂きました。
保育所も一緒に開設されているようで、境内に園児がまだたくさん遊んでいて、本堂の撮影までには至りませんでした。
参拝日 令和元年9月25日
所在地 富山県富山市新庄102
宗派 曹洞宗
山号 慈眼山
寺号 全福寺
札所 新西国三十三番観音霊場十番
境内掲示板によると、慈眼山と号し、曹洞宗の禅寺である当寺は新庄城主轡田備後守の 祈願所として建立されたという。
天正年中(1573-1593)、佐々成政に攻められ 新庄城が落城するとともに、当寺も廃絶された。
寛永元年(1624)、町人鍋屋孫左衛門が寺の断絶をいたみ、旧地に 堂宇を再建し、滑川徳城寺より才宗雲能大和尚を招請して開山とした。
後、高岡瑞龍寺より南領祖能和尚を迎え、当寺十五世中興として、 今日にいたっている。
当寺に安置し奉る千手観世音菩薩には次のようないい伝えがある。
寛永3年(397)8月17日、米屋和右衛門が荒川で釣りをしていると、 水中に光かがやく観音像を発見し、自宅でおまつりをしていたが、 のち全福寺へ遷したという。 また、当寺門前の道しるべは、寛政年間(1789-1801)に建立されたものであり、 『寺の方江戸道、これより東大いわみち』と刻まれ、ここから大岩 不動への参道が分岐していた。
なお当寺には大伴家持の万葉歌碑の復元記念碑があるとあります。