繁久寺はあいの風とやま鉄道、高岡駅の南東約900メートルの位置に鎮座しています。
私は高岡駅より徒歩で蓮華寺の参拝と併せ向かいました。
参拝日 令和五年五月二十五日
所在地 富山県高岡市芳野89
山号 仙寿山
寺号 繁久寺
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来
札所 越中一国観音霊場 九番札所
高岡新西国三十三観音霊場 三十三番札所
頂いた資料によると、永禄5年(1562年)、射水郡飯久保村(現在の氷見市)に一宇を建立し「飯久寺」と号したのに始まります。
生保3年(1646年)、加賀藩2代当主前田利長公の33回忌に墓所を造営するに当たり廟守として飯久寺を飯久保村より移し「繁久寺」と改称し造営された寺院です。
加賀藩から寺領を与えられて、代々墓を守ってきました。
安政6年(1859年)惜しくも全焼し、現在の建物は文久2年(1862年)の 再建ですが、規模や構造は元の堂宇をそのまま模したと伝えられています。
明治以後、五百羅漢堂、座禅堂が整備され、社会福祉事業の先駆けとして養老院も開設されています。
特に懇願した訳ではないので、御朱印は五百羅漢です。
現地案内板によると、加賀藩主前田家墓所は、この前田利長公墓所と金沢市の野田山前田家墓所からなる。
正方形区画で、墓城の総面積は約33,000㎡(1万坪)、二重の堀で囲まれている。
中心には、加賀産の戸室石で化粧した、幅15.5m、高さ5.0m(石塔上までは11.9m)の御廟=墳墓がある。
加賀前田家三代当主前田利常によって造営され、こうした破格の規模の造営は、異母弟である自分に家督を譲ってくれた二代当主前田利長への恩義によると現在まで語られる。
平成19年の発掘調査によって、戸室石の部材が堅固な基礎地業の上に構築されていることが確認された。
基礎石には越中灘浦沿岸で切り出される砂岩(小境石・薮田石)が使用されていたことから、越中と加賀の石が同時期に使用されていることが判明した。
高岡の町を開町した加賀前田家二代当主・前田利長公の墓所として、
1646年に造営され、大名個人の墓としては全国最大級。