福王寺は、あいの風とやま鉄道呉羽駅の北西約3.5キロメートルの位置にあります。
また下村加茂神社の東南東約100メートルの位置にあり隣といっても良い距離です。
私は下村加茂神社参拝後、徒歩で移動しました。
参拝日 令和元年11月2日
所在地 富山県射水市加茂中部550
宗派 高野山真言宗
山号 宝林山
寺号 福王寺
御本尊 大日如来
札所 北陸三十六不動尊霊場 第16番
越中一国三十三観音霊場 第21番
境内の看板によると、本像は鎌倉時代初期の作でヒノキ材の一本造り、 小ぶりではあるが、藤原時代の木造様式を伝え、忿怒の 面相や躍動的な姿態は鎌倉期の特徴である剛健さを備えている。
県内の木造毘沙門天立像としては最古のものの一つである。
真言宗福王寺は今から約千百数十年前、弘法大師(空海)北陸巡錫の折り 開基されたと伝えられている。
その後、幾度かの戦火に遭い、江戸時代の万治2年(1659)富山市愛宕不動院より招かれた僧、実裕 によって中興され現在に至っているとあります。
二軀とも杉材一木造りの等身像で眼は彫眼、両腕は別木で 刻まれている。
越中に多い杉材を用いているのは、この地方で製作されたことを 示すものである。
不動明王立像は、立像の不動明王としては最も古く製作が優れている。
また、彫眼に大小のないのも古い様式を伝えている。
県内の指定文化財で阿弥陀像はいずれも來迎形の立像であるのに対し、 本像は珍しい來迎形の座像である。
福王寺は加茂神社の別当寺であったことから、いずれも加茂神社の本地仏であったと思われる。
両像とも、地方作として貴重であり、鎌倉時代製作の代表作の一つである。
9月に真言宗が鎌倉時代に説いた神仏混交思想「御流神道(ごりゅうしんとう)」の奥義をまとめた古文書が、発見された。
また4月には御流神道の教えを目で見える形で伝えるために描かれた三種の神器図が県内で初めて発見され、住職さんは「天皇陛下の即位の時期に、かつての即位礼が分かる古文書の発見に不思議な縁を感じる」と仰っています。
同寺では即位礼を記念し、発見された古文書を紹介するコーナーがもうけられています