黒部市吉祥寺

吉祥寺アイキャッチ画像

吉祥寺は、あいの風とやま鉄道黒部駅の東約3キロメートルの位置にあります。
また、富山地方鉄道長屋駅の西約400メートルの位置でもあります。
私は自転車で参拝しました。

参拝日 令和元年10月21日
所在地 富山県黒部市山田新2115
宗派 曹洞宗
山号 大悲山
寺号 吉祥寺
本尊 釈迦牟尼仏
札所 呉東地区新西国三十三所観音霊場 第9番
   霊場御本尊 十一面観音菩薩

昭和31年(1956)11月13日指定


文化財資料によると、市内で最も古い仏像で、藤原期(894-1185)の様式を示していて、像の高さは100センチメートルで、造像技法は一木造り、両手は別材を寄せています。
材質はスギを使用し顔は、像の高さに対して比較的大きく円顔で、鼻はやや高く、眉や目は細く口はやや小さい。
ほおはふっくらとし、胸のはりがよく、腰がどっしりと落ち着いている。
身にまとっている天衣は厚みがあり、全体にまとまっているとあります。    

この聖観世音菩薩立像と脇立左右大臣像は、行基大士菩薩作と伝えられています。
もとは吉祥寺境内にあった鎮守神社のご神体として安置されていましたが、神仏分離の折、神社は村の中央へ移転し、この立像と大臣像が吉祥寺に引き継がれ今日に至っています。
聖観世音菩薩立像は、昔から十一面観世音といわれ、信仰の対象としてあがめられてきました。
開帳は33年に一回しか行わないのが原則ですが、その中間の17年にも行うことがあります。
平成13年(2001)10月13日、52年ぶりに行われ、法要が営まれました。
開帳の回数が少ないので、ありがたい秘仏とされています。
開帳を33年に一回行う理由ははっきりしていませんが、観世音菩薩は、その場、その人に合わせて身を33に変えて現れ、教えを説かれたことに由来するのではないかと考えられています。
また、33は三十三回忌からきたのではないかともいわれています。

むかし魚津の松倉城・天神山を攻めた前田利家が苦戦したとき、霊仏観世音菩薩(十一面観音)が現れて勝利を得たといわれています。
前田家の守護菩薩がこの観世音菩薩であり、吉祥寺の寺紋も加賀藩の梅鉢の紋です。
天正年間(1573〜91)、上杉謙信の越中の国攻めで吉祥寺も焼かれています。
弘化年間(1844〜47)に真言宗から曹洞宗に改宗され、安政六年(1859)加賀藩主に願い出て復興につとめられました。
昭和6年(1931)12月9日、県の許可を得て現在地に移転、再建されました。