魚津八幡宮

魚津八幡宮のアイキャッチ画像です

魚津市の御朱印巡りの一環として参拝しました。
西願寺の道路を挟んで真向かいでした。
少し足を延ばせば現存する水族館で日本最古の魚津水族館があります。
また、条件にもよるけど蜃気楼が発生したらすぐ見に行けそうだし、銭湯もありました。
何よりも驚いたのは、鳥居と本殿の間を横切るようにして、あいの風とやま鉄道と富山地方鉄道が走っています。
高架橋になっているし、境内を見る限りは支障ないようですが、少しびっくりしました。

参拝日 平成31年3月23日
所在地 魚津市田地方町407
御祭神 譽田別尊
    天神様

境内に設置してあった掲示板の概略です。
加賀藩前田家から魚津八幡宮に賜った剣梅鉢の御定紋付の提灯4張りを紛失(もしくは破損)させたことから、 町奉行が宮の祭りを禁止したそうです。
翌年、市内諏訪神社の(祭り交代)のことで神明社と八幡社が争い、双方が 寺社奉行に訴えました。

神明社有利の判定が下され、それを不満とした氏子が集まって笛・太鼓で騒いだ後、奉行所へ 押しかけ祭りの復活を請願しました。
寺社奉行が厳しい詮議をしたことに抗議するも猟師右衛門、浜屋彦助、吉見屋幸助が刑に処されたそうです。

魚津八幡宮の祭りは春(4月)と秋(9月)に祭りがあり、いずれの月も13日の日中に神職と神輿が氏子 町内の家々を巡じる『御神幸』が行われるそうです。
そして、秋には12町内から出陣する夜の『あばれみこし祭り』 があります。
毎年14日に行われていたが、平成17年からは9月の第3土曜日に行うことになったそうです。
この祭りは明治の御代となり文政12年(1829)の『八幡騒動』から差し止めとなっていた祭りが復活した喜びを 『宮あげ』で現わしたと同時に『八幡騒動』の犠牲者の慰霊が起こりであるとのことです。

近隣の方に頂いた文書を要約すると、重複しますが、文政12年(1829)町奉行の神社に対する圧政に反発したため、67人が牢屋に入れられ、3人が打ち首になり、祭りの差し止めとなった「八幡騒動」により、廃滅同様になっていた神社が、明治時代に入り、再び祭礼が復興されたとのことです。

その喜びと犠牲者の慰霊が、このお祭りの起こりのようです。
お祭り当日の昼間「さらし首」の場に築かれた小塚にお参りし、続いて境内の顕彰碑(昭和39年4月建立)の参拝を経て、夜のみこし祭りが始まります。
提灯に飾られた氏子12カ町、12基と1基のこどもみこし、計13基のみこしが順番にお祓いをうけては次々に3回ずつ拝殿に乗り上げます。
打ち鳴らす笛太鼓の響きと勇ましい掛け声で拝殿に掛け上げる様は勇壮です。
この様を称して「宮あげ」というようです。

魚津八幡宮御朱印
魚津八幡宮御朱印