於保多神社

於保多神社のアイキャッチ画像

於保多神社へは富山市の御朱印巡りの一環としてJR富山駅前で自転車をレンタルして参拝しました。
富山地方鉄道稲荷町駅の南西600メートル位の位置に鎮座しています。
境内には、たくさんの碑が並んでいました。
資料によると、二代藩主前田正甫公頌徳碑や県下唯一の西南役記念碑、さらには富山藩の子弟の教育に功労のあった小西有実、有義、岡田呉陽の記念碑ということです。
また牛の像が目を引きました。

参拝日 令和元年5月18日
所在地 富山県富山市於保多町1-32
御祭神 菅原道真公
    御神徳・学問 正直 文化 書道 芸能 詩歌 慈悲。
    前田利次公(富山藩初代藩主) 富山繁栄の基を築く。
    前田正甫公(富山藩二代藩主) 富山売薬の始祖。
    前田利保公(富山藩十代藩主) 薬学殖産の先駆。

参拝時頂いた栞の内容を列記すると、於保多神社は弘長3年(1263)に菅原道真公をお祀りしたのが始まりです。
江戸時代、富山初代藩主前田利次公は、菅原道真公を祖とし氏神として深く尊崇していました。
富山場入場後、寛文5年(1665)『天満宮』を創建し祈願所とされました。
その後、宝永5年(1708)富山藩三代藩主前田利興公が、柳町(現在地)へ遷座し本殿、拝殿を造営されました。
天神信仰は、富山藩の保護のもと、庶民の間にも広まっていきました。

於保多神社は、菅原道真公を祀る『天満宮』寛文5年(1665)創建と富山初代藩主前田利次公を祀る『国玉社』文化7年(1810)九代藩主利幹が創建、この二つのお社が明治6年(1873)に合祀、明治7年(1874)『於保多神社』と改称され、明治9年(1876)には県社兼郷社となりました。
社名の『於保多』は社が初めて建てられた地名の『太田保』(おおたのほ)を万葉仮名にしたものといわれています。

明治42年(1909)、後の大正天皇となられる皇太子殿下が、北陸行啓の際に前田正甫公前田利保公在世の功績を賞せられ共に従2位を贈られました。
正甫公利保公の霊を奉齋し、長くその功績を顕彰するため明治44年(1911)富山藩二代前田正甫公、十代前田利保公の2柱が合祀されました。

『天神さま』『天満宮』といえば、菅原道真公をお祀りした神社ですが、日本全国で約12000社、富山県内では、相殿、境内末社を含めて、120社でお祀りされています。
道真公は、人から神の御位に昇られ『学問の神』『至誠の神』『書道の神』『学芸の神』等の御神徳を人々に信仰されています。

於保多神社 和歌
於保多神社 和歌
於保多神社 御朱印
於保多神社 御朱印
タイちゃん
タイちゃん

時鐘は貞享3年(1686)富山藩二代藩主前田正甫公が命じて作られたものです。

前田正甫公時鐘彰徳碑

前田正甫公時鐘彰徳碑

時鐘は江戸時代鋳造

彰徳碑は昭和38年(1963)
建立

御祭神を崇敬された所縁の方々による多くの石碑が建立されています。
◎聖廟法楽和歌碑 江戸時代建立
嘉永4年(1851)天満宮奉賛詠歌が刊行され、富山藩主前田利保公以下、富山藩士、その他の者達の和歌(1780首)が収録されました。
菅原道真公950年祭祀の折に奉納されたと思われます。
境内の聖廟法楽和歌の歌碑はこの奉納歌碑と考えられています。

◎戦没諸君之碑 明治11年(1878)8月建立
明治10年(1877)2月、西南戦争がおこり、旧富山藩出身者で明治政府に従軍し戦没された方々がおられました。
後に岡田信之の撰で生還した人々により建立されました。
冥福を祈り、諸兄姓名階級を銘記した県下唯一の碑であります。

◎呉陽岡田先生の碑 明治19年(1886)建立
◎小西有實・有義先生の碑 昭和8年(1933)建立
いずれも富山藩の教育に貢献された方々のようです。