大法寺はあいの風とやま鉄道高岡駅の北西約1キロメートルの位置にあります。
私は高岡駅より歩いて参拝しました。
越中高岡六山御朱印巡りの構成寺院でもあり由緒あるお寺さんです。
参拝日 令和元年8月26日
所在地 富山県高岡市利屋町67
宗派 日蓮宗
山号 海秀山
寺号 大法寺
海秀山高岡大法寺は享徳2年(1453年)、栄昌院日能聖人が、越中国放生津(現在の富山県新湊市)の地に 本圀寺布教所として開創されたのが始まりとされ常安寺と呼ばれていました。
放生津は、室町時代には守護所が置かれ越中国の政治・経済・文化の中心地でした。
大法寺第九世 立正院日鋭聖人の時代には自ら本圀寺へ登山し、改めて大法寺の寺号を授与されたとの記録があるとのことです。
ところが戦国時代、神保氏が没落して越中が前田家の所領となると、大法寺も多くの寺院と共に移転することになりました。
まず、天正年間(1573~1591)頃に、放生津から久々湊に、次いで守山へと移転し 更に、慶長3年(1598)に守山から富山へ、同14年(1609)には、高岡開町とともに富山から高岡へと移転したとのことです。
明治10年(1877年)の高岡大火で全山焼失の事態を迎えるが、第二十五世 髻中院日珠聖人、第二十六世 斯中院日洞聖人の手腕によって数年のうちに再建されているようです。
長谷川等伯筆の「日蓮聖人画像」「釈迦、多宝如来像」「鬼子母神、十羅刹女画像」「三十番神画像」の4点があり国指定重要文化財に指定されています。
大法寺は、瑞龍寺と共に、藩主の手厚い庇護を受けた格式の高いお寺です。
大法寺の角には里程元標があります。 明治時代初期の交通枢要地に木標を建てて管内諸街道の起程とする里程調査のために定められた道路元標の富山県里程元標「高岡」です。
北陸街道の一つの基点となっていたもので、高岡から●●迄の距離を言う時にこの木柱が起点になるようです。