埴生護國八幡宮は、あいの風とやま鉄道石動駅の西南西約800メートルの位置に鎮座しています。
私は医王院参拝後徒歩で向かいました。
一連の行事が終わったからか参拝客は私しかいなく、宮司さんに直接御朱印を書いていただきました。
参拝日 令和5年5月11日
所在地 富山県小矢部市埴生2992
御祭神
主神 八幡大神
合祀 神明宮、住吉社、出雲社、春日社
埴安姫社、天満宮、諏訪社、東照宮など
御神徳 産業・文化の神
平和・外交の神
学問・勝運の神
- 頂いた資料によると、埴生護國八幡宮は源義仲公(木曽義仲)の祈願社として知られる古社である。
- 宮縁起によれば、奈良時代養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請(お迎え)したのにはじまり、天平時代に越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられる。
平安時代後期に、埴生の地は石清水八幡宮の荘園であった。 - 平安時代の末、寿永二年(1183)五月、木曽義仲は埴生に陣をとり、倶利伽羅山に二倍の軍勢を布く平維盛の大軍と決戦するに当たり、当社に祈願をこめ、いちじるしい霊験ががあった。
このことは、平家物語、源平盛衰記、謡曲木曽など、多くの古典文学の中に語られている。 - 戦国時代には、武門、武将が篤い信仰を寄せ、武田信玄、佐々成政、遊佐慶親などの祈願や社領の寄進が続いた。
- 江戸時代には加賀藩より現在の社殿が寄進され、時々の祈願が寄せられた。
- 明治元年、神仏分離令によって、僧形八幡神像一体を埴生の医王院に遷座し奉った。
桃山から江戸初期にかけての建物である。
大正13年、社殿全部が国宝に指定され、戦後は国指定重要文化財となる。
- 「本殿」は慶長五年(1600)に前田利長卿が大聖寺へ出陣の際、祈願あり。
御帰陣の後寄進される。 - 「釣殿」は慶長十六年(1611)、前田利長卿が高岡在城の折、病気平癒を祈願して寄進される。
- 「拝殿」「幣殿」は元和八年(1622)に前田利常卿夫人天徳院の産後平癒祈願のため改造寄進を約し、正保三年(1646)完成。
護國八幡宮の本殿・釣殿・拝幣殿の3棟
桃山から江戸初期にかけて加賀藩の寄進により建てられた富山県を代表する神社建築
(国指定重要文化財、大正十三年指定)
埴生護国八幡宮文書四十五点
戦国から江戸時代にかけての歴史を伝える県内でも重要な資料
(県指定文化財、昭和四十五年指定)
木造男神座像二体
二体の男の神様の像(鎌倉時代の檜の彫刻)
(県指定文化財、昭和四十三年指定)
特殊神事 宮巡り(九月十五日)
木曽義仲の戦勝祈願を伝える神事
(小矢部市指定民族文化財、昭和五十二年指定)
鳩清水
源平合戦の折、源氏軍が鳩の案内で得たという鳩清水の滝を水源とする清水が御手洗石鉢に注いでいます。
鳩清水は富山の名水に選定されています。
木曽義仲銅像
日本一の源義仲像であり、騎馬像としても全国有数のもの。
昭和五十八年、源平倶利伽羅合戦八百年祭を記念して建立。