近江町市場で昼食をとった後参拝しました。
歩いて行ったのですがすぐ近くでした。
ただ周辺が工事中の箇所が多く、多少ゴミゴミしていました。
文豪 泉鏡花の生家が、久保市乙剣宮の向かいだそうです。
参拝日 平成31年2月6日
所在地 石川県金沢市下新町6-21
御祭神 素戔嗚命(スサノオノミコト)
御神徳 悪事災難厄除け、良縁成就、夫婦家庭円満、子孫繁栄、
学芸上達
頂いた資料によれば、素戔嗚命は高天原から出雲に天下りなされた際、八岐大蛇を退治し、大蛇の生贄にされようとしていた櫛名田媛を救って結婚し、 大国主命など多くの神々の祖神となられたとのことです。
その時に詠んだ和歌『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を』は、 日本最初の和歌だそうです。
久保市乙剣宮は式内等舊記に『久保市乙剣神社 金沢窪市鎮座 称乙剣大明神』と あり、平安時代初期、この辺りが小坂庄久保市村と称されていた時代に、当地域の 産土神として創建された古社であるとのことです。
中世、久保市乙剣宮前に、北加賀内陸部の中核的な市場『山崎 窪市(凹市)』が 形成されたことから久保市乙剣宮は、金沢における『市場発祥の地』、『まち発祥の地』 とされ、商売繁盛・社運興隆・金運上昇の神社として崇敬されています。
また、亨禄の錯乱で能登・越中の武士が加賀三ヶ寺派支援のため北加賀へ侵入した際、 超勝寺・本覚寺派の加賀国衆が山崎窪市に布陣したとの記録があるほか、東内総構堀に架かっている 枯木橋の橋名の由来は、元亀・天正の乱によって久保市乙剣宮の境内林が焼かれた際の枯れ木を 橋にしたことに因むとの伝承があるとのこと。
天正11年、前田利家が加賀藩主として入城し、本格的な城下町としての整備が進められました。
慶長6年、金沢城東内総構堀築造の際、久保市乙剣宮は卯辰山に移転させられ、境内地は加賀藩士の邸地となりました。
明治9年、旧社地に復遷したとのことです。
昭和13年 現社殿に改築されました。
現社殿は、神社の代表的な建築様式の一つである『流造り』で、幣殿は近世貴族の邸宅にみられる『内室造り』です。
平成25年3月『金沢市こまちなみ保存建造物』に指定されました。
また久保市乙剣宮の向かいで生まれた文豪 泉鏡花の作品中に久保市乙剣宮周辺の記述も多いそうです。
これを顕彰して境内に『うつくしや 鶯あけの 明星に』の句碑が建立されたということです。
泉鏡花さんって、どんな作品があるの
尾崎紅葉さんに師事されたそうで、外科室、高野聖、
歌行灯などが有名よ。
大変な潔癖症だったらしい。