本覚山観音寺

観音寺アイキャッチ画像

観音寺はあいの風とやま鉄道、石動駅の北、約500メートルの位置に鎮座しています。
私は石動駅より徒歩で参拝しました。


札所になっている観音様の御朱印と特別にお祀りされている菅原道真公の御朱印とで計三尊の御朱印を頂きました。
観音寺は各地にあるようなので、私のブログでは寺号だけのタイトルが多いのですが、今回は山号も付記しました。

参拝日 令和五年五月十六日
所在地 富山県小矢部市観音町1-9
山号 本覚山
寺号 観音寺
宗派 高野山真言宗
御本尊 聖観世音菩薩
開基 法道上人
創建 白鳳七年
札所 北陸三十三ヶ所観音霊場二十六番
   越中一国三十三観音霊場二番

資料によると、当寺は白鳳七年、法道上人が開かれたと伝えられ、越中国利波郡糸岡郷五社村にあり、宝幢院本覚山観音寺と号して七堂伽藍が並び建っていました。


弘仁のころ、北陸を巡っておられた弘法大師が一夜当寺にお泊まりになった折に、夢に阿弥陀如来が現われ、「末世衆生済度の為に、願わくば汝観世音菩薩の像を刻んで永く六道輪廻の衆生を化益すべし」とのお告げをたまわり、大師はさっそく仏像を造り安置されました。


天正十七年、木舟の城主前田利秀公が石動へ築城されると観音寺も移り、永久の祈願所になりました。
観世音菩薩は大慈大悲の故に身を三十三に分け、七難を去って七福を生じ、難病難産のうれいを救い、子孫の長久を守られます。
当寺では正月に初詣、八月十日に四万六千日法会、毎月十七日に観音講を催しています。
観音様の霊験日々新たに、御利益を受ける者数知れませんとあります。

毎年五月二十四・五日は、菅原道真公を供養する大祭です。
道真公は承和十二年六月二十五日(八四五年)に生まれ、病弱だったのを母上が観音様を信仰されて健康となり、ついには学問の神、書道の神とあがめられました。


加賀前田藩主前田家は道真公を祖先とあがめ、道真公自筆の自画像を荒木摂津守から入手して当寺に預けられましたので、厳重におまつりし、正月二十四日深夜には初天神の大祈祷祭を、五月の第三日曜日には大祭を催し、全町獅子舞を奉納しているとの事です。

境内に銅造地蔵菩薩半跏坐像が安置されています。
この像は『延命地蔵』と呼ばれ、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、左足は踏み下げにしている。
江戸時代までは立山町芦峅寺閻魔堂の前庭に安置されていたものである。
明治初年の神仏分離令にもとづく廃仏毀釈の影響でまず倶利伽羅の長楽寺へ移され、さらに明治5年(1873)、当寺の境内に移されたものだという事です。

観音寺しおり

御詠歌
のぼれるも
くだるもおなじ 
みちなれば 
だれもすくわる 
ちかいなるらん

威徳天神御朱印
威徳天神御朱印