有磯正八幡宮はあいの風とやま鉄道、高岡駅の北西約1500メートルの位置に鎮座しています。
コロナ禍の前からよく参拝しているのですが宮司さんも忙しそうで、今回初めて御朱印が頂けたのでこの日を参拝日とすることにします。
高岡駅から徒歩で参拝しました。
参拝日 令和五年五月二十五日
鎮座地 富山県高岡市横田町3-1-1
御神鳥 かわせみ
御祭神 正座
『有磯宮』
・有磯神
・綏靖天皇
『横田正八幡宮』
・応神天皇
・仁徳天皇
・神功皇后
・武内宿禰
左座
『八坂社』
・素戔嗚命
『水天宮』
・岡象女神
・安徳天皇
右座
『息長武神社』
・神功皇后
『琴比羅社』
・大己貴神
・石凝姥神
・日本武尊
・前田利長命
『神明社』
・天照皇大御神
『諏訪社』
・建御名方神
『原霊八幡社』
・原霊子八幡大神
頂いた資料、当社のホームページなどから、有礒正八幡宮は、『有礒宮』と『横田正八幡宮』が合祀された神社です。
『有磯宮』は、有礒神と綏靖天皇をご祭神とし、古代には有礒海(氷見七浦)の守護神として、雨晴岩崎の沖合い「渋谷の浜」に御鎮座されていました。
しかし、日本海の荒波による境内地浸蝕のため、一旦、現在の燈台付近に御動座の後、現在の高岡古城公園、小竹藪付近に御動座されました。
時代は下り、加賀藩主前田利長公が高岡城築城を計画された折、有礒宮がその縄張りの内に入っていたため、塩蔵下に仮遷座(慶長9年)された後、川原町地内に御鎮座の『横田正八幡宮』に合殿(慶長15年)され、神社名も『有礒神社正八幡宮』と改称されました。
『横田正八幡宮』は、文明年間に神主上田丹後守によって礪波山より勧請されたと伝えられています。千保川東岸の川原町地内に御鎮座されていました。
八幡宮に「正」の文字がつく理由としては、その国で一番初めに八幡様を祀った神社であること、または宇佐神宮からの直接の勧請であることなどが挙げられますが、当神社にはその詳細は伝えられていません。
慶長15年に有礒宮と合殿となり『有礒神社正八幡宮』と改称した後、千保川氾濫のため社地を神主上田伊勢守の屋敷地内に御動座(慶長17年)となりました(現在の鎮座地)。
この時、神社の旧社地にあった樫の大木が高岡城の城門に使用され、また高山右近公の意によって築城様式の石垣が神社に奉納されました。
文化元年には第11代加賀藩主前田斉広(なりなが)公の申し立てにより、「有礒神社」の号を神階とともに下賜せられ、明治16年に本殿建立、昭和10年に幣殿・拝殿を建立し、昭和22年に中古の名称であった『有礒正八幡宮』へと改称し、現在に至っています。
行啓御用水
明治42年、皇太子殿下(後の大正天皇様)が高岡に行啓遊ばされました。その折に高岡で一番おいしいとされた当宮の御神水が殿下に献上されました。以来、御用のお水『御用水』と呼ばれています。
親子抱き合いの欅
今では親木は枯れ木となりましたが親木を包み守り立つ子木の姿に、親を思う子の情愛が感じられるとしてその信仰は続いています。
かえる石
石に手を当ててお祈りください。
横から見ると蛙に見えます。