五ノ辻稲荷神社は妙高はねうまライン高田駅の北東約500mの位置に鎮座しています。
私は高田榊神社参拝後徒歩で向かいました。
道路が込み入っていて探すのに少し時間がかかりました。
キツネちゃんと書いた御朱印帳に挟む栞を2枚頂きました。
高田最古の社だそうです。
参拝日 令和六年四月十六日
鎮座地 新潟県上越市大町5丁目5-2
社名 五ノ辻稲荷神社
御祭神 稲荷大明神
御利益 五穀豊穣を司る神で商工業生産の守護神
矢除天神
御利益 菅原道真公を御祭神とし、天満宮とも称す
学問武芸の神様
粟嶋大明神
御利益 大国主命とともに国造りにいそしまれる
健康医術の神様
境内社 雁田神社
長野県の蚊里田八幡宮より勧請
子授、開運、万病平癒、子孫繁栄の神様
当神社のホームページによると、現在から四百年ほど前、松平上総介忠輝公が、高田の地に城を築きました。
それから高田は大きな城下町として栄えてまいりました。
しかし、それ以前の高田の町はそれほど大きくはなく、古い記録によりますと、大町五丁目あたりが「高田村」としてその中心地だったとされております。
そして、この町の真ん中には大きな榎があり(越後騒動の際には城受取りに来た榊原政倫がこの榎の根本に腰を下ろし、城と町の様子を見たとあります。
ちなみにこの木は二百五十年近く前の安永年間まで残っていたそうです。)それを町の中心に位置する「先代の遺木」と皆が呼んで崇めていたそうです。
その木の下には祠があり、「榎稲荷」と呼ばれておりました。
その後、高田城の追手前にあった「社」が合祀され、享保年間には中島大炊介藤原義康が、伏見稲荷より勧請を受け、幾柱かの神さまとともに祀って神殿を建てました。
それが今日の「五ノ辻稲荷神社」です。
また、「先代の遺木」は、現在も御祭神の下にその切り株を残していると言われております。