金刀比羅宮社務所

金刀比羅宮社務所 アイキャッチ画像

魚津市の御朱印巡りの一環として参拝しました。
道路に面して鳥居があり、村社、金刀比羅神社、天満天神宮と併記されています。
このお宮さんの建築物自体が、金刀比羅宮社務所というようですね。
御朱印頂いておきながら確認するのを怠りました。
何故〇〇神社というように呼ばないのか疑問です。

参拝日 平成31年3月23日
所在地 富山県魚津市本町1丁目3-6
御祭神 金刀比羅宮 大物主命
    天満宮天神社 菅原道真公
御利益 家運長久、商売繁盛、延命長寿、学問成就等。

御縁起

金刀比羅宮社務所内の掲示板によると、
金刀比羅宮社務所は、椎名康胤が松倉城の城主であった
天文年間(1532-1555)より、城内の鎮守の社でありました。
先祖は、松倉城封土守護神の社僧となり、修験宗本山聖護院宮派阿弥陀院と称し、一時一社の別当職権大僧都 錦欄地法院の令旨を賜り勤仕しておりました。
永禄12年(1569)の松倉城の戦い、その後元亀2年(1571)の尻垂坂の戦いで上杉謙信に攻められ松倉城が陥落すると、当社は平沢の山中へ遷座したと伝えられています。

その後寛文年間(1661-1673)に小戸が浦に遷座、
正徳年間(1711-1716)に河原町に遷座、
安永年間(1772-1781) に寺町に遷座したと伝えられています。
明和8年(1771)6月、讃州多度郡松尾寺(明治以前の金刀比羅宮) 別当職金光院より、金毘羅大権現安置御免の許可状を授与され安置いたしました。
かつ安永2年(1773)金沢小立野 一本松より天満天神様をお迎えし相殿にて祀りました。
天明年間(1781-1789)に現在の地に社殿を建立し、 遷座いたしました。
明治維新にあたり、金刀比羅天満宮の神社として今日に至っております。
また、昭和36(1961)年頃 (遷座年月不詳)には宇津名神社が、
平成19年(1988)9月23日には魚津市大熊村の日枝社が遷座し、合祀しております。

御祭神の一方である大物主命は、国土開発はもとより、航海、漁業、農業、殖産興業、医療、良縁など、人生百般の 運命の守護神として、家運長久、商売繁盛、延命長寿などにあらたかであります。
古代より水行、茶断ち、断食祈願などを される篤信の方々には、あらたかなること枚挙にいとまがない次第であります。
もう一方の御祭神は菅原道真公であり、 学問の神として、日々学業の進捗をお守りくださっております。

金刀比羅宮社務所 鳥居

金刀比羅宮社務所 鳥居

金刀比羅宮社務所 社殿

金刀比羅宮社務所 社殿

金刀比羅宮社務所 拝殿

金刀比羅宮社務所 拝殿

金刀比羅宮社務所 由緒書き

金刀比羅宮社務所 由緒書き

金刀比羅宮社務所 境内社

金刀比羅宮社務所 境内社

金刀比羅宮社務所 洗心

金刀比羅宮社務所 洗心

金刀比羅宮社務所 社標

金刀比羅宮社務所 社標

金刀比羅宮社務所 碑

金刀比羅宮社務所 碑

金刀比羅宮社務所 塔

金刀比羅宮社務所 塔

金刀比羅宮社務所 御朱印

金刀比羅宮社務所 御朱印

 

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