二上射水神社へはJR氷見線伏木駅より、自転車をレンタルして参拝しました。
氣多神社、慈尊院と併せて参拝したのですが、二上射水神社自体は伏木駅の西南西約4キロメートルの位置に鎮座しています。
参拝日 令和元年9月6日
鎮座地 富山県高岡市二上1519
主祭神 二上大神
社務所に不在だったため御朱印は高岡古城公園内の射水神社でいただきました。
いただいた栞によると
延喜式神名帳の式内社越中国34社の内唯一の名神大社である。
創建年代は不詳であるが奈良時代末の宝亀11年(780)の続日本記に、「越中国射水郡二上神従五位下」の神階を授けられており、当時すでに北陸地方屈指の大社であった。
古来、神仏習合により別当寺の養老寺が護持し、二上山大権現と称した。
越中全土の各戸より毎年初穂米奉納の制があり、盛大を極めた。
その後、承平・天慶及び天正年間の兵火などにより衰頽した。
慶長14年(1609)加賀2代藩主前田利長公は、社殿再建の上、藩の祈祷所として保護し、国内に命じ初穂米奉納の制を復活し明治維新まで続いた。
明治新政府による神仏分離令を受けて射水神社となり、明治4年(1871)国幣中社に列し、同8年高岡古城公園に遷座した。
同10年、氏子の復座請願により分社となったが、戦後独立し、現在は射水神社元宮として、古代信仰を今に伝え、築山行事(県指定無形民俗文化財)木造男神坐像(国指定重要文化財)など貴重な文化遺産を守り続けている。
二上射水神社は、富山県高岡市の二上山の麓に鎮座する北陸地方 屈指の古社で、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に 記載の越中国射水郡射水神社に比定される。
二上山は古代には神の住む山として信仰され、続日本記には 祭神である二上神の名が見える。
また、奈良時代の養老年間(717-724) に高僧、行基が二上山の麓に養老寺を建立し、同時に二上神を 祀ったと伝えられる。
重要文化財・木像男神座像は、二上射水神社の御神体で、欅材の 一木造りである。
現在は枘で結合してあった両手・両足がないが、 像高は121.0cmで、全国に存在する神像の中でも最大級である。
かっては彩色があったらしく、着衣の奥、その他にわずかだが胡粉 らしきものを残している。
制作時期は、あごひげがある神威に満ち た厳めしい面貌表現、重量感溢れる体躯、古様な冠の形状などから みて、平安時代(10世紀)と考えられる。
造形は、厳しい表現で、荒ぶる神々を押さえつけるという二上神に 相応しい。
像表面にごつごつとした鑿跡を刻み付けた仏像を、一般に 鉈彫りと呼んでおり、東日本に多く分布している技法である。
冠や体躯に纏う着衣はおおむね平滑に彫刻をしつつ、顔面部のみほぼ 前面に丸鑿で水平の痕跡を残している。
わずかな光が揺らぐと表情を 変えることから、そこに生きる神を演出したのだろう。
特に注目され るのは、彫眼で表現されている眼であり、上瞼の位置と眼球の範囲 が明瞭に表現されている。
造形の最も中核にあたる眼球に、意図的に鑿跡を残していることは、 造像上、重要な意味を持つのである。
本像は、鉈彫と神像彫刻がリンク して制作された初期の作例であり、両者の成立と発展を考える上で、 きわめて重要な神像である。
なお、本像は、毎年、4月23日の春季 祭礼時に公開される。