宮津八幡宮

宮津八幡宮のアイキャッチ画像です

宮津八幡宮は、あいの風とやま鉄道の魚津駅から南に約4キロメートル程南の位置にありす。
また国道8号線の大光寺の交差点から約1.5キロメートル程、南東に行った所でもありす。
私は魚津駅から、レンタル自転車を利用して参拝しました。

参拝日 平成31年3月24日
所在地 富山県魚津市宮津1521 
御祭神 誉田別尊(応神天皇)

魚津市史及び宮津八幡宮の境内の案内板の内容を要約すると、宮津八幡宮の前進は、延喜式外社・加積神社と考えられています。
貞観15(864)年に従五位下が授けられ、加積郡の総社として地元の信仰が篤かったという事です。
中世には戦勝祈願の八幡信仰が盛んになり、 松倉城の武将達から守護社として崇められていた加積神社が、八幡宮として信仰を集めるようになったと伝えられています。


神仏習合思想により平安時代から中世にかけて僧形八幡神像が製作されるが 、このような過程で木像も宮津八幡宮に納められたと思われます。
八幡宮にはこのほか、鎌倉時代の 木像加積神座像、江戸時代に佐伯村から遷座した木像菩薩形神像も収蔵されているとのことです。

それと同じような事が境内の案内に、宮津八幡宮は往古より、新川郡加積郷の総社として知 られ、現在の魚津市をはじめ、滑川市、上市町の 一部を含む 加積郷の守護神を祀っていますとあります。
御祭神は誉田別尊(応神天皇)を主神とし、例大祭は九月十五日です。


歴史的記録としては「三代実録」(平安時代撰)に、
「清和天皇貞観十五年(八七三)十二月丙午、 加積神ヲ従五位下ニ叙ス」とあり、勅使をもっ て御勧請になった県内有数の由緒を持つ古社 です。

鎌倉時代以降には、武門、武将、特に、 松倉城主、魚津城主の崇敬篤く、奉納された 刀剣類は、社宝として 現存します。
また、近くには、刀工、郷 義弘(正宗十哲の一人) の遺跡と伝える鍛冶屋敷なる地名があります。
なお、檜つくりの加積神像(鎌倉時代)、仁孝 天皇御璽印の任官状(江戸時代)、金屋町在住の 藤原汎隆作脇差(江戸時代)は、魚津市の重要 なる文化財となっています。
この、郷開拓民の昔から鎮護国家と五穀豊穣 の御神徳を崇め奉ってきた八幡大神は、現代では 郷土全体の幸福と、繁栄ををお護りになる氏神と して、更には世界平和と、人類の文と、産業の 発展の御守護を仰いでいます。

平成12年4月3日に指定 された、木造僧形八幡人座像 、僧衣、円頂の落ち着いた座像です。
神像は本来御神体として非公開が前提で 小さなものが多く、本像も小品であるが、希にみる優品といわれています。

宮津八幡宮のチャンチャン石

この平たい石はその昔、空から大音響を立てて落ちた隕石と伝えられている。
ここの角川辺りの石ではない。
小石で叩くと高い『チャーン、チャーン』という音がし、 余韻も長い。 願い事をしてこの石を叩くと、石の中ほどから答えてくれるそうだ。

宮津八幡宮のチャンチャン石
宮津八幡宮のチャンチャン石

宮津八幡宮の盤持ち石

米俵を頭上に差し上げて力と技を競う磐持ち大会は、宮津でも盛んであった。 これはその練習などに使用した数少ないバン持ち石で、三斗石とか四斗石とか いって若者たちが持ち上げた。?

宮津八幡宮の盤持ち石
宮津八幡宮の盤持ち石
宮津八幡宮 御朱印
宮津八幡宮 御朱印