金沢へ行った帰りに高岡駅で下車して、参拝しました。
関野神社、大仏寺、射水神社とほぼ一直線で、中間地が 大佛寺です。
参拝日 平成31年2月8日
所在地 富山県高岡市古城1-1
御祭神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
御神徳 五穀豊穣、商業繁栄、家内安全、縁結び、
開運厄祓、みちひらき
越中総鎮守射水神社にて参拝した折にいただいた資料によれば、越中総鎮守射水神社は、悠久の昔、二上神を奉斎して二上山麓に創建され『延喜式』。
越中三十四座中で唯一の名神大社として、その御神威は広く朝野に知れわたり、越中国総鎮守の大守護神として崇敬されてきたとのことです。
奈良朝、勅命により越中全土の各戸より初穂米奉納の制度が設けられ、また、国司の補佐にあたっては国家安穏、五穀豊穣を祈願する越中国一宮としてその隆盛を極めました。
その後、戦国時代には兵火により社殿が悉く焼失しましたが、天正13年、前田利家公が越中を領するに至って社殿を修理、二代目前田利長公により再建されて、一時中断されていた初穂米制度も復活し、江戸時代に加賀藩の祈祷所となって復興したとのことです。
明治4年、越中で最高の国幣中社に列せられ、諸条件を鑑み、現鎮座地の高岡城本丸跡に官費を以って社殿が造営され、明治8年9月16日、盛大且厳粛に遷座祭が斎行されました。
しかし明治33年、高岡大火により類焼し社殿樹叢を悉く炎上しましたが仝35年には官費を以って再建されたのが現在の社殿となり、建築界で初めて文化勲章を受けた伊藤忠太が設計を担当しました。
富山県下一円はもとより、全国より崇敬が寄せられていましたが、終戦により官費も断たれ、神社の衰退は極めて厳しく、これを憂えて奉賛会が発足し、今日まで広く県内外より崇敬奉賛の赤誠が捧げられています。
特に我が国の正史に天武天皇3年(西暦674)奉幣と誌されることを基とし、昭和50年、長き辺りより奉げい料を賜り、御鎮座1300年・御遷座100年祭が麗しく斎行されたとのことです。
今回、高岡市での参拝は当初予定していなかった割には、瑞龍寺、総持寺、関野神社、大佛寺、そして射水神社と5か所参拝出来ました。
高岡市には他にも有名な寺社が多く、再度伺いたいです。